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そよ風と 木漏れ日と・・・
手作り市の『ラミ・デュ・パン』で手に入れるメレンゲ。
2年前に初めて見たときはその大きさにびっくり。わたしの拳より大きい。
買ってみたはいいけど、そのまま食べたていたらちょっと飽きて持て余しました。
なんか美味しい食べ方はないかなー?と考えていたら思いついて生クリームと混ぜることにしました。それだけではちょっと甘くモタっとするなー。
ベリー類やバナナと合わせたら美味しいだろう。
と、そこまで考えたあたりで、そういうデザートが既にあるかも、と調べてみたのです。
そうしたら。やっぱりありました。
Eton Mess イートンメス
イギリスの伝統的なデザートでした。
あの有名なイートン・カレッジが発祥だということで、イギリスではレストランのメニューにあることもある、スーパーでも既製品で売られている、ということを知りました。
元祖のレシピは、生クリームとメレンゲとイチゴをあわせる。混ぜる。
messとは、ごちゃまぜにする、という意味だということです。
イチゴは縦4つに切って、お砂糖とキルシュを振りかけてしばらく置いておきました。
生クリーム200ccを甘みは少なめにやわらかめに泡だて、『ラミ・デュ・パン』のメレンゲ1つを粗く砕いて、あとは生クリームといちごとメレンゲを混ぜるだけ。
アクセントにピスタチオとチョコレートを削ったものをかけてみました。
メレンゲは湿気にさえ気をつければ1、2ヶ月平気で置いておけますので、一木手作り市で手に入るときに時々買っておきます。
イギリスではイチゴは夏の果物で、これは夏のデザートらしいです。
毎年おせちの一の重には、口取りの一つとして、というのでしょうか、
甘い寒天をあしらいます。
年によって、『紅白かん』か『日の出かん』。
紅白かんは牛乳かんと赤ワインで作った寒天を重ねます。
日の出かんはみかんを繰り抜いて器にし、みかんジュースで作った寒天を流し、
輪切りにして盛りつけます。
大晦日、お重に詰める料理を用意して、ああ終わった、とほっとした時、
まだ寒天を作っていないことに気づきました。
それに、まったく寒天のことを忘れていたのです。
牛乳は買いに行かないとない。みかんを使う日の出かんを作る余力はもうない。
でも甘い寒天はおせちに入れたい。
みかんの缶詰があったので、急遽、新しく創作することにしました。
みかんの缶詰の甘い液を300cc。
それに対して寒天の粉一袋(4g)の3分の2。
鍋に液を入れ、砂糖を少し加え、火にかけて、寒天を煮溶かす。
少しおめでたい色を付けたかったので、ほんの少し爪楊枝の先に付けたぐらいの
赤い色粉を加えました。
流し缶にみかん缶のみかんを敷き並べ、そこへ上記のみかんジュースの寒天液を流す。
洋梨のコンポートを作った時の甘い煮汁を300cc鍋に入れる。
それに対して、また寒天の粉一袋(4g)の3分の2。
火にかけて煮溶かす。煮溶けたら、さきほどのみかんの寒天の上に流す。
出来上がりは、みかんの寒天は透明でほの紅く、みかんがキラキラ見え、
そのうえに洋梨の味の半透明の寒天、
という2層の寒天ができました。
写真ではちょっとわかりにくくなりましたけど。
洋梨のほうを、少しの抹茶でほんのり緑色にしてみたらもっと良かったかなー。
コンポートも混ぜてミキサーしてみればもっと良かったなー。
なにより、透明の方を上にすればよかった。
と、アイデアが湧いてきたので、ここに覚え書きとして記しておきます。
11月のことでしたが、叔母からラ・フランスがたくさん届きました。
うっかりして食べ頃を逃すのはもったいないので、
幾つかをそのまま食べて、あとはコンポートにして、保存しておきました。
毎月31日はサーティーワンの日。
そのことはよく知らなかったのですが、運良く大晦日にサーティーワンで
アイスクリームを買いました。あらま、かなりお得。
コンポートと合わせてデザートを作るために、バニラとチョコレート系を買おう、
と決めていましたが、名前に惹かれて『チョコレートホリック』。
1月のシーズンフレイバーらしいです。
お正月なので、ちょっとホッコリして、デザートに凝ってみました。
『ベルエレーヌ』
Belle-Hélène
パリのレストランなどでは季節が合えば定番のデザート。
洋梨のコンポートにバニラアイス、熱いチョコレートソース。
オッフェンバックのオペレッタの名前『美しきエレーヌ』という名前が
1865年からデザートの名前になったということ。
オッフェンバックといえば、『天国と地獄』。
『天国と地獄』といえばフレンチ・カンカン。
パリ庶民の文化が華やかなりし頃ですね。
パリのカフェ『リッシュ』にはオッフェンバック専用のテーブルを
持っていたそうです。
そばにはかのボードレールも居たかもしれない。
マラルメやクールベとすれ違っていたかも。
1864年12月に発表されたオペレッタ『美しきエレーヌ(ベルエレーヌ)』
に合わせて、
「おい、なにか、わしのオペレッタにちなんだ良いデザートを作って、オペレッタと
コラボしてくれ。」とオッフェンバックが言ったとか、言わなかったとか。
あくまでもわたしの想像ですが。
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