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角屋(すみや)もてなしの文化美術館

8日前の日曜日のことでした。
京都は島原の角屋(すみや)で、太夫さんのお点前つきで『角屋もてなしの文化美術館』を拝見できるというご案内をいただきました。
京都マラソンの日でしたので京都中の交通混雑も考えて、わりと近くに住む友人を誘ってみました。島原散策は初めてということで喜んで来てくれました。

角屋の表です。角屋保存会の札がかかっています。今日のご案内は保存会の会員の方からいただいたもの。

角屋もてなしの文化美術館

すぐにお庭に面している一階奥のお座敷に通されました。

角屋もてなしの文化美術館

お天気が悪かったせいはありますが、照明も暗めなので部屋の中は仄暗い。それが却って幽玄の世界を作り上げています。
お菓子が配られ、お茶のお点前が始まります。

角屋もてなしの文化美術館

太夫さんが来られました。

角屋もてなしの文化美術館

八千代太夫さんでした。このお名前はあとで私のピアノの師匠である友人が教えてくれたのです。
「八千代太夫さんと違った?この頃太夫さんといえば八千代太夫さんなんよ。」
そういえば、太夫さんに付いている二人の禿(かむろ)の女の子の背中に『八千代』と書いてありました。
それは太夫さんの名前だったんだ。
ピアノの師匠は京都のこと、特に伝統的な京都のことに関して凄く詳しいのです。

太夫さんは悠然と優雅な所作でお茶をたて、それを禿の女の子が上客に運びます。
現実離れした光景でした。見とれました。

そのあと保存会の方が二階のお座敷を一部屋一部屋案内して解説してくださいました。
そのどれもがここまで凝るか、という凝りようで、その芸術的価値は計り知れないほど。
ベルサイユ宮殿に足を踏み入れた時と同じほどビックリしました。
残念なのは、長年のロウソクの煤で壁や天井や襖絵が黒くなっていること。ぜひ煤を落とす技術を確立していただきたいものです。
でもそうなっても、たいへんな費用がかかるだろうなあ。

解説が終わって一階へ戻って、また別な方が個人的にいろいろ説明してくださいました。

角屋というのは揚屋で、揚屋というのは料亭のようなもの。なのでとても広い台所がありました。

角屋もてなしの文化美術館

角屋もてなしの文化美術館

新撰組の刀傷が二階にも玄関先にもついていました。どんだけ暴れん坊だったのよ・・

これは玄関先の古い槐(えんじゅ)の木。この木に葉が茂って花が咲く頃に見てみたいものです。

角屋もてなしの文化美術館

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