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そよ風と 木漏れ日と・・・
橿原への小旅行中に食べたものがどれもが美味しく特筆すべき物ばかりでした。
一日目のお昼は今井町の中の定食屋さん、「町家茶屋 古伊」。
きつねうどんと柿の葉寿司のセットです。柿の葉寿司は奈良の郷土料理。柿の葉で包まれた中には鯖寿司が入っています。
夜は先日記事にも載せましたが、橿原神宮での直会(なおらい)のお食事。
二日目の朝は橿原観光ホテルでの朝食でしたが、どうせホテルの朝食だからバイキングか、と思いきや、奈良の名物である茶粥をメインにした朝食。
煮物や焼き鮭、だし巻きもついた豪華な朝食。
藤原宮跡のコスモス畑などを周った後に、前日見そこねていたところを見に今井町へ戻り、まず喉をうるおしました。
古い町並みに溶け込んでいたコーヒーのお店「大川珈琲屋」でグレープフルーツジュース。
お昼ごはんは同じく今井町の中で、漢方のお店「やくぜん」のカレーです。
ごはんは古代の黒米。食前に高麗人蔘の細切りのてんぷらがつきました。サラダのドレッシングもとても美味しかった。
それほど期待をしていなかったのに、というか期待が低かったせいか、どれも予想外に美味しくて大満足でした。
橿原市の北西に位置する古い町並みの残る今井町。
近鉄八木西口から歩いてすぐの飛鳥川にかかる蘇武橋を渡ると大きなエノキ(榎)。そこからさらに歩みを進めるとタイムスリップしたような古い町並みが現れます。
戦国時代、一向宗本願寺の今井兵部卿豊寿によって町が建設され門徒たちが集まり濠をめぐらせた武装集落を作り上げました。織田信長に反旗を翻した本願寺に呼応して今井町も信長に抵抗。
しかし、やがて信長に降伏し、武装を解いて商人の町へと生まれ変わりました。大阪の堺とも縁が深く、伊勢参りの道筋にもあったのでこの集落の商家は栄え、南大和最大の町として自治権も与えられました。
江戸時代に隆盛を極めたこの町は、それ以降もその姿をとどめたまま時代を経て、平成5年12月には重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
過度に観光化もされず、住民の方たちは今でも歴史ある家の保存に努めているのです。
こんな古い町が存在しているとは、それも京都から1時間あまりで行ける距離にあるとは、全く知りませんでした。
要塞だった面影もとどめ、道は見通しよくは作ってありません。主要な道から曲がると狭い路地もあちこちに出現します。
生活に関係のある車しか通っていません。静かですが、生活の息遣いも感じる、ワクワクする町でした。
昨日は友人が習い始めて3年になるというシャンソンの、そのレッスングループでの初めての発表会でした。
緊張していると聞いていたのに、堂々の歌いっぷり。曲目の世界観を演じきってみごとでした。
グループの他の方たちも、それぞれに個性や人生が表れて、歌というものは面白いなあと改めて感じました。
自分の得意とする分野や好きな分野に関して、深く楽しみ、続けていくことは、年を重ねていくうえで大切なことだと思うようになりました。
若いときより体力や記憶力は落ちていきますが、理解する力は増していくように思います。続けていくにつれて幾つになっても新しい発見ができます。
年齢には関係なく、自分の成長を目指して前へ前へと努力する姿は周りの人々に力を与えてくれます。
清々しい感動を覚えながら会場を後にして帰りました。
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