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そよ風と 木漏れ日と・・・
むかーし日本の歌謡曲が元気だったころ、『ザ・ベストテン』という歌番組がありました。
たまたまその番組を見ていたときに司会の黒柳徹子がマリービスケットをミルクに浸してそこに生クリームをのせて立てて、それを何枚も繰り返して、まわりにも生クリームをつけて、ラップで包んで冷蔵庫で寝かせ、斜めに切って、ケーキの出来上がり、というのを紹介している場面に出くわしました。
すぐに真似してみたら想像以上においしかったので、ときどき作って楽しんでいました。
それから何年もたってから、友達からもらった平野レミのお料理の本に徹子さんから習ったレシピをアレンジしたという『クッキーケーキ』のレシピが載っていて、『あ、あれだ。』と面白く思ったものでした。
徹子さんは最近の番組でもビスケットケーキのレシピを披露されてるそうな。
ココアサブレが袋にまだたくさん残っていたので、ひさしぶりに作ってみることにしました。
チョコレートシロップとイチゴとバナナを挟んだのは思いつき。
もっと外側をクリームで包みたかったけど足らなくなったのでそれは断念。
ちょっとイチゴから水分が出ることを想定しなかったのが誤算でしたが、それでも十分おいしいおやつになりました。
コツは、包んだあとに、はやる気持ちを抑えること。
それと食べるときには斜めに切ること、です。
一晩くらい寝かせると、生クリームの水分が抜けてクリームチーズのような固さになる一方ビスケットはその水分を吸ってしっとりふくらむので、まるでケーキのようになるのです。
去年からのびのびになっていた一年越しの計画、それは、心斎橋の不二家へ行くことでした。
そもそもこの計画の発端は、四条木屋町の不二家が2011年1月5日に閉店してしまったという出来事でした。
私たちの小さなころは不二家に夢がつまっていたものです。日曜日の夜7時半には不二家一社提供の番組がありました。そのCMも夢のよう。三条と四条に不二家レストランがあるということで、あの一帯にキラキラと輝く甘い思い出の破片が漂い続けていたのです。
2005年の河原町三条店の閉店もショックでしたが、2010年クリスマスには普通に賑わっていたという四条店が年明けにあっけなく閉店したのは淋しいかぎり。
その話題から大阪心斎橋の不二家レストランへ行こう、という流れになったのです。
不二家のケーキが並ぶショーケース。ちなみに日本で初めてショートケーキを売り出したのが不二家です。1922年からですって。
そして・・・
私たちの一年越しの「不二家のケーキバイキングに行ってみる計画」は無事に敢行されたのでありました。
一人何個食べたかは、ないしょ。
不二家ウェブサイト
昨日うちに遊びに来てくれた友人がチケットをくれました。
今田美奈子 華麗なる王妃の食卓芸術展 -バラと天使とお菓子の物語-
京都高島屋で14日まで。
おおー、これは行ってみなければ。
風邪ひきで鼻がグズグズ、しょぼ降る雨。だけど、大きなマスクをして傘をさして行って参りました。
ヨーロッパの歴代有名王妃の食卓が、イメージや歴史風土検証を混じえながら再現されていました。
陶器やカトラリー、ナプキン、卓上の装飾品、燭台、キャビア入れや茶器などの銀器、などが花々やリボン、組紐などとともに美しくセッティングされていました。
ほかにはヨーロッパ各国の代表的なお菓子の数々。イギリスの伝統的なシュガーデコレーションケーキ。
グズグズの鼻もショボショボの雨も、そのひとときはすっかり忘れて夢心地。
が、やっぱりマスクをした風邪ひき状態。展覧会場を出たら息苦しくなり、バレンタインのチョコレート売り場も、地下のお菓子売り場も素通りで家に帰ることにしました。
帰りのバスでは、『ラブリーなスウィーツを所望』する気持ちが膨れ上がり・・
うちに帰りついて一息ついたら、バスの中で思いついた試みを実行しました。
冷凍庫にあるチョコレートケーキを解凍。
ダークチェリージャムをブランデー少々とお湯少々でのばしたものを解凍したケーキにかける。
生クリームを泡立ててダークチェリージャムを混ぜてピンクのクリームにする。
そのクリームにバナナの輪切りと、メレンゲの砕いたものを混ぜ込む。
お皿にケーキとダークチェリークリームを盛り合わせ、上からチョコレートソースをかける。
白い生クリームとイチゴをトッピングしてデコレーション。
見た目も味も、所望したとおりのスウィーツが出来ました。
マスクをはずして、この即席のラブリーピンクスウィーツを堪能しました。
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