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そよ風と 木漏れ日と・・・
昨年、衣笠の居宅が初めて公開されたことで、たまたまそのお宅を拝見しに行く機会を得て、またその2階で日本画の作品の幾つかを見て、とても心惹かれた日本画家、木島櫻谷(1877-1938)。
以前のページ 2012年8月19日
その折に知り得た情報では、晩年の櫻谷は画壇との縁も切り、衣笠に引きこもった生活をして62歳で轢死。というものでした。
電車に轢かれてお亡くなりになった、引きこもっていらっしゃった。そこから想像してしまったのは孤独なお姿でした。
その想像以来、櫻谷さんのことが何故か気になってしかたがありませんでした。
そして、その他の逸話として、第六回文展の櫻谷が二位を勝ち得た『寒月』という作品を、夏目漱石が貶したということも聞きました。
『寒月』というのは今回の木島櫻谷展のポスターにも使われていて、京都市美術館の所蔵であることから、今までにも数回目にしたことのある印象深い作品です。
櫻谷さんについて、作品ももっと見てみたい、人物についても知りたい、と思っていた矢先にこの美術展が行われることを知ったのでした。
切符を買う受付と絵葉書やカタログを買う場所が同じレジだったので、切符を求めるときに迷わずカタログも買いました。
夏目漱石の一件も、明治後期の日本画の写実性・色彩の考察と絡めた評論となってカタログの中に載っていました。
円山応挙(1733-1795)、竹内栖鳳(1864-1942)、と、続けて京都画壇の一派である円山四条派の絵を見てきたところなので、写実性に重きをおいた円山四条派の日本画が明治後期に西洋絵画の写実性をどう取り入れていったか、ということについてもとても興味の湧いた点でした。
このカタログは、またこれからしばらく、手元から離せません。
今回の展覧会では、今年発見されたという、50代前半の衣笠の自宅で若い家族たちと暮らす櫻谷を写した8ミリフィルムを見ることが出来ました。
わずか3分あまりのフィルムは、子供たちが衣笠のお庭を自転車で走りまわり、割烹着を来た若い女性たちが8ミリに映るのを恥ずかしがりながら布団を干したり、そこに犬がじゃれついたり、というほのぼのした様子の中、茫洋とした風情の櫻谷が入ってくるところの映像でした。
50代から画壇とは縁遠くはなったものの、弟子たちは衣笠のお宅に出入りしていたし、にぎやかな家族に囲まれ、決して孤独ではなかったというのがハッキリわかる映像でした。
そして、櫻谷の最期も、家族や弟子と松茸狩りに出かけた時に枚方付近で京阪電車の事故にあったのだということもわかりました。
この1年あまり、わたしの心の中で密かに気にしていた木島櫻谷の晩年は、暖かく豊かなものであったことがわかって、大きな収穫を得た気分です。
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