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そよ風と 木漏れ日と・・・
今回の東京での目的のもうひとつは「根津美術館」へ行くことでした。
噂には聞いているもののまだ行ったことはなく、友人からはとってもいいからと勧められていました。
今の時期は「新創開館5周年記念特別展」として「名画を切り、名器を継ぐ」という企画で展覧会が行われていました。
名器を継ぐという言葉からは日本の伝統的な手法の金継ぎを思い浮かべていましたが、名画を切るはどういう意味か最初はわかりませんでした。
展示作品は主に表装された掛け軸、そして厚紙に古筆などを貼って折帖にした手鑑(てかがみ)など。
これまで何気なく見てきた多くの掛け軸の絵、それは唐などからやってきた水墨画の一部を切ったものや、日本の絵巻物などの一部を切ったもの、だったということがあったのかもしれないことに気づきました。
今回展示されているものは全て元の絵画や古筆を切って表装したものでした。古筆の場合は別々の部分を組み合わされたものもありました。そうして出来た色彩の組み合わせとデザインがまた見事。
それはなぜか。
多くの場合は茶室のしつらえに合わせて表装されたもの。茶の湯の席で、来歴を語ったり、ある絵巻の絵を持っていることがステイタスになったり、そういう文化があったようです。
元の絵巻物を切ってしまうというと、文化財を壊しているようにも思えますが、一概にそうとばかりもいえません。ある場合は破損したところ以外を切って新たな美術品に仕立てたことで新しい生命を吹きこまれたものもあります。また保存状態がよくなったことで失われずに済んだものや、焼失をまぬがれたものなどもあります。良くも悪くも、日本の美術文化は茶の湯の文化とも交差し、重層的になっている部分があるのだと思います。
「根津美術館」の創設者、根津嘉一郎は甲斐の国の豪商の出で、後に東武鉄道を経営した人です。
当時の茶の湯の文化の中でも、一目も二目もおかれていた人物であっただろうと思われます。審美眼と財力。
名器を継ぐ、という一連の出展作品には金継ぎの技法のものもありましたが、鎹(かすがい)で留めたもの、別の用途のために穴をあけたものなどもありました。
茶の湯の文化においては、華美なものばかりではなく、割れたもの、欠けたもの、そしてそれを修理して修理の跡までも美しいとしたもの、一般的な価値観から一見外れたものからも美を見出したそういう文化だったのだと再認識しました。
ただし、割れたの欠けたのと言ってもそれが安価なものではないことはまず間違いありません。
自分の審美眼を茶の湯の席で披露することがステイタスであったお歴々は、財力においても日本文化の担い手であったことだろうと思います。
根津美術館は嘉一郎の私邸跡。5年前に隈研吾によって設計された新展示棟の周りには広大な庭園が広がり、茶室も4棟も点在しています。
季節や趣旨によって、茶室もいろいろに変えて楽しまれたのだろうなあ。なんと贅沢なことでしょう。
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