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そよ風と 木漏れ日と・・・
琵琶湖が好きな鳥仲間に湖西の隠れ家カフェへ連れて行ってもらいました。
広い敷地に大きなお庭、平屋建ての建物がカフェと、奥にはギャラリー。お住まいもあるのかもしれません。素敵なところです。
お料理にもそうとうなこだわりが感じられました。丁寧に作られていて、味もピシっと決まってる。
ランチのパスタコースにしましたが、最初は水菜やラディッシュ、ルッコラなどの野菜に、ハモンセラーノが乗ったサラダ。
次はサツマイモの冷製スープ。リンゴとラムレーズンも入っているそうで、奥深くて優しい甘さの冷たさが嬉しいスープ。
パスタは、私はエビとルッコラと祇園豆(ギオンマメというのは初めて見ました。祇園豆と書いてあったと思うのですが・・ちょっと記憶があいまい)のペペロンチーネにしました。トマトが少しだけ加わって、全体をひきしめていました。
パスタの茹で加減も、最後にかけられた粉チーズのあんばいもいい感じ。
口直しに天草からつくられた寒天、自家製の柚子とザクロがアクセントになっていました。
デザートのケーキはケースの数種類から選べます。わたしはフルーツタルト。そこにも自家製のザクロの粒が乗っていました。
飲み物も、温かい紅茶は紅茶の種類が選べます。わたしはレモンもミルクも入らないアイスティーにしましたが、それも美味しかった。
秋の空に刷毛でサッと掃いたような雲が爽やかな様子。
いよいよ発表会当日がやってきました。早く起きていちおう出かける準備をしたら、それ以上いえでチンタラしてもしようがないので、さっさと会場まで行きました。
会場についたら、生花のアレンジメントが二箱も届いていました。
箱から出したお花を鏡前に置いて、今日の衣装を吊るして、なんだかいつもよりも楽屋っぽい。
リハーサル中も客席に座って客席の様子を観察したり、毎年このときだけに会う方々に挨拶したり。
早々に腹ごしらえを済ませると近所のピアノ練習室を1時間借りて練習しました。
控室に戻ってきたら、またまた生花のアレンジメントが届いていました。
なんとなんとありがたいことでしょうか。
第一部が終わったら来てくれている友人を探しにロビーと客席へ。台風も近づいてきているというのにはるばる遠くまで足を運んでくれた友人たちに心から感謝です。
本番が近づいてくるときは毎回とても苦しい。「出来る、出来る」と自分に言い聞かせつつ、リラックスするためにひたすらあるきまわりながらiPhoneでドビュッシーの「喜びの島」を聴き続けました。
わたしの前の一緒に弾き合いの会をした友人はショパンのソナタを見事に弾ききった様子。
さあ、わたしも。
最初のほうは小さなミスがチョコチョコと。でも止まることなく前へ前へと進めました。
うまく行っているときは次はなんの音か、まったく意識することがありません。気が付くと曲の後半。
一番の山場をのりきり、最後の高音から最低音で勢い良く、そこは音をはずさずに終われました。
「終わったー!」です。ミスはあったけど止まらなかったらわたしの中ではクリーンヒットのようなもの。
衣装の評判も曲と調和がとれていたと上々だったので大満足です。
生花の入ったダンボール箱2箱に、来てくれていた友人たちからのプレゼントや今日の記念品もいただいて、大荷物でタクシーで帰りつきました。
今日はグッタリなので、明日たのしみながらプレゼントを開けたり、お礼のメールやお手紙を書くつもりです。
本当にありがたいことです。
いよいよ発表会が明日という差し迫った夕方。
こういう場合は毎回、心のなかでジタバタしています。ところが。
今日の夕焼けが美しくて、しばらくその美しさに浸ってぼんやりしていました。
こういう色合いは、ちょうどフランスの印象派の絵画のよう。そしてそのイメージは明日わたしが弾くドビュッシーの「喜びの島」のよう。
ドビュッシーが「喜びの島」の着想を得たのはロココ時代の画家ワトー(1684年〜1721年)の「シテール島への船出」だというのが定説です。
なぜそういう定説が生まれたのか。に、ついては、またおいおいと考えていくとして。
この刻々と移り変わる色彩。風によってフワフワ、あるいはサーッと様子を変えていく雲。
その様子は、わたしが弾きたいドビュッシーの音のようです。
暗くなっていくまで、夕焼けの中に溶け込んだ自分を感じていたら、明日の発表会でピアノを弾くことが怖くなくなってきたではありませんか。
こんな感覚は初めてなので、よくよく味わってみています。
明日の朝、目が覚めても、この感覚がなくなっていませんように。
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